シンロクローさんとの想い出
2024年8月25日
ラグビージャーナリストの小林深緑郎さん、自分は昔から「シンロクロー」さんと呼んでいる。シンロクローさんは、インターネットの無い時代から、あらゆる手段を使って海外ラグビーの情報を入手されていた。かすれた音の海外の短波放送(BBCのスポーツニュースやRadio New Zealand)をイヤホンで聴きながら、試合の結果や最新情報等を書き起こしていたという。その噂を聞いた人が、シンロクローさんの家には大きなレーダーみたいなアンテナがあるんじゃないかと見に行ったら、ごく普通の家だったらしい(笑)。また海外の新聞を読みたいあまりに、わざわざ帝国ホテルのロビーまで行って、1部800円くらいした新聞を買っていたという逸話もある。
並々ならぬ探究心と愛情で収集した情報は、当時「トライライン」という小冊子という形で希望者に届けてくれたらしいが、確か1990年くらいだったか、当時高校生だった自分はその小冊子欲しさに冊子代分の切手を送ったんだけど、何故だか郵送されてこなかった。2019年のシンロクローさんのトークライブに行った際にそのことを告げると、「ちょうど忙しかったのかなぁ」とバツが悪そうに笑っていた。
あと、シンロクローさんと言えばW杯。1987年の第1回から取材されていた。2015年の「ブライトンの奇跡」。違う試合の放送でスタンバイしていたシンロクローさんが、興奮を抑えきれずに J SPORTS の特設スタジオに乱入してきた。その時の嬉しそうなシンロクローさんの笑顔は今でも忘れられない。このシンロクローイズムは、解説者なのに途中でグラウンドに飛び出していった2019年の布巻選手に見事に受け継がれた(笑)。
そして、あまり知られていないかもしれないけど、2019年のW杯日本開催を失敗の許されない国家プロジェクトと捉え、ラグビー協会や企業に対し、日本への強力なサポートをお願いし続けてくれたのもシンロクローさんだった。
シンロクローさんには、もう何十年もお世話になった。常軌を逸したラグビーヲタクの今の自分を作ってくれたのは、間違いなくシンロクローさんだ。自分のラグビーに対する探究心や審美眼や情熱に大きな影響を与えてくれたことは、いくら感謝しても感謝しきれない。
享年75歳。
安らかにお眠りください。